江渕 良平 a.k.a. CHALLENGER
プロデューサー/ディレクター/ライター/他

Ryohei Ebuchi a.k.a. CHALLENGER
Chief Creative Officer/Executive Producer/Director/Writer/Journalist/etc.
Challenger’s Broadcasting & Communications
Founder and President
Challenger’s Entertainment


幼い頃から「人々に夢や希望、勇気、元気、愛、感動を与えられる、伝えられる仕事がしたい」と多種のボランティア活動を経験し、過去にはボランティアグループなども設立する。

主将を務めていた地域の剣道場で阪神淡路大震災の際に被災者救援・支援募金活動を実施したこととその活動が全国に広がったことが大きな転機となり、11歳でボランティア活動を本格的に開始。

16歳で、アイアン・イーグルスの創設を計画・準備。この頃、日本国では全国的に10代の凶悪化した青少年犯罪が広がりを見せ始めたために日本国や欧米の青少年の非行・犯罪や地域住民によるまちづくりの前例を調査する。

弱冠17歳で、アイアン・イーグルスを創設、創設者として総代表に就任。高校に通いながらも校則では禁止されていたアルバイト(アパレルやカラオケ、コンビニなど)をして150万円を貯め、創設資金にあてる。子ども&若者主体で「シティ・ライフ・ガード・ボランティア」を組織し、世界でも初とされる既成の制度や枠にとらわれない「総合生活安全活動」を展開。その中でも、当時、全国的な犯罪の凶悪化・増加の影響で「コミュニケーション・パトロール」が国内外から注目を浴びる。メンバー同士が呼び合う際やスポンサー「Motorola(モトローラ)」から提供された無線機での通信の際はコードネームを使用、江渕良平はEagle-1(イーグル・ワン)、若しくは、CHALLENGER(チャレンジャー)というコードネームで呼ばれ、親しまれた。「リョウヘイ・スタイル」の独特なユニフォームとメンバー育成も特徴である。日本国では珍しく10代でNPOやNGOを創設したり、社会貢献的活動をしたりしたパイオニアとして、日本国はもちろん世界中の各種メディアでも紹介される。また、TBS系列『3年B組金八先生』のストーリーでひったくり事件をきっかけに地域をパトロールする高校生のモデルとなる。他にもテレビのドラマやバラエティなどでもモデルとなったストーリーが多数ある。

日体荏原高等学校卒業後、東洋大学社会学部社会学科に進学するが、半年も経たずに中退し、日本国や世界中の生活安全・危機管理・まちづくりに対する危機感を感じてボランティア活動に献身の姿勢で尽力する。

20歳で、特定非営利活動法人国際アイアン・イーグルス(所轄庁:日本国・内閣府)を設立、理事長に就任。警察庁・警視庁・各都道府県警察本部・消防庁・東京消防庁・各都道府県庁・市区町村などとも協働し、東京都・神奈川県など首都圏を中心に活動を拡大していく。

他にも東京消防庁災害時支援ボランティアへの参加、おもちゃの図書館など多数のボランティア組織の運営、東京都大田区(蒲田)・目黒区(自由が丘)・世田谷区(下北沢)などの行政や商店街に携わり、まちづくりや防犯防災、放置自転車対策、環境対策、タウンマネジメント事業にも協力。

身辺警護(ボディガード)や警備のプロフェッショナルでもある門口寛氏(元・警視庁/当時・日本シークレットサービス 警備第一部長兼研修所長)に師事。

久里浜少年院を視察・慰問(法務省関連)、日本DARC(薬物・アルコール依存症者リハビリ施設)やアパリを視察。

同年に、大田区主催成人のつどいでは、新成人の中から実行委員に抜擢され、就任。式典の司会を務める。

同年に、若者たちに人気を得ていた某メジャーR&Bヴォーカル・ユニットが設立したレーベルのスタッフとなり、音楽業界について学ぶ。

21歳で、岩手県議会議員/タレント/株式会社みちのくプロレス取締役会長/プロレスラーのザ・グレート・サスケ氏の専属警護官に抜擢され、就任。この頃から国賓・駐日大使・皇室・内閣総理大臣・大臣クラスのV.I.P.が出席する行事、大規模イベント、クラブイベントの警備企画、警備協力、各界著名人の警護なども担当する。また、セキュリティーアドバイザーとして、警備や警護の指導も行う。

同年に、新潟県中越大震災が発生した際に民間人としては一番乗りで被災地入りし、調査、救援・支援活動を展開。

大田区議会議員で元・東京消防庁職員の金子富夫氏と、その1週間後には、岩手県議会議員/タレント/株式会社みちのくプロレス取締役会長/プロレスラーのザ・グレート・サスケ氏と一緒に被災地入り。

同年に、『STOP AIDS CLUB MOVEMENT』に参画、HIP HOPやR&B、REGGAEなどのアーティストたちと一緒に日本国内におけるエイズ予防の活動を展開。

同年に、スタッフを務めていたレーベルの某メジャーR&Bヴォーカル・ユニットのアルバム:楽曲のリリックにプライベートで起きた出来事が反映され、ジャケットのTHANKSにも記載される。

22歳で、国際サンタクロース・ヘルパー協会を創設、理事長に就任。当時2歳だった鈴木玲央くんの願いであった「サンタクロースに会いたい」という願いを叶えるために、江渕良平自らがサンタクロースに扮して鈴木玲央くんが通う保育園を訪問したことをきっかけに活動がスタート。その後は、著名人やサンタクロースと一緒に児童養護施設や病院・小児病院、保育園、幼稚園、ドナルド・マクドナルド・ハウスなど、子ども関連施設を訪問し、子どもたちの夢や願いを叶えたり、おもちゃやお菓子などのプレゼントを届けたりする活動を展開。サンタクロースに関係する国の在日大使館や政府観光局などが後援、国内外大手の玩具メーカーや菓子メーカーなどが協賛、各界著名人やアニメキャラクターなどが参加するチャリティー団体へと成長させる。

同年に、ストリートファッション雑誌『men’s egg』のカリスマモデルたちがプロデュースするファッションブランド、多数のモデルと一緒に『Change the Thinking』(子ども&若者の意識改革)を始動。

同年に、J-HIP HOPの重鎮でもあるDJ YUTAKA率いる『SAVE THE JAPANESE CHILDREN』に参画、HIP HOPやR&B、REGGAEなどのアーティストたちと一緒に日本国の子どもたちを守る活動を展開。

コンピレーションアルバム『SAVE THE JAPANESE CHILDREN』からシングル化された『ONE』のプロモーションビデオに出演、J-HIP HOPの重鎮と呼ばれるDJ YUTAKA氏と共演し、話題を呼ぶ。

同年に、『風 am I「僕の神様」』プロジェクトに参画、レゲエシンガーの風と一緒にスマトラ沖大地震・大津波の被害で家族を亡くした子どもたちを支援する活動を展開。

同年に、チャレンジャーズ・プロダクションを創業・設立、代表取締役に就任。

23歳で、東京都参事/帝京大学教授/元・陸上自衛隊北部方面総監の志方俊之氏の後押しを受けて、東京財団と志方俊之氏が主宰する大都市の危機管理体制(町守同心)研究会に、東京都、防衛、自衛隊、警察、消防、民間危機管理組織、企業などの関係者に混じり、オブザーバーとして異例のメンバー入り。アメリカ合衆国で起きた同時多発テロ(9.11)をきっかけに日本国と海外におけるテロや凶悪犯罪等の事例、演習、民間危機管理体制のあり方を研究。アメリカ同時多発テロの標的となった世界貿易センタービルに本社を構えるモルガン・スタンレー証券の日本法人役員や北朝鮮から亡命した元・工作員:安明進氏などとも意見交換している。

24歳で、チャレンジャーズ・プラスを設立。

25歳で、チャレンジャーズ・アカデミーを設立、校長に就任。数々の実績を持つ有名講師たちと並んでタレント・俳優たちに業界の基礎知識やワークショップ、演技などを指導。

26歳で、チャレンジャーズ・ブロードキャスティング&コミュニケーションズを設立、エグゼクティブ・プロデューサーに就任。制作会社と共同制作でインターネットテレビ・情報バラエティ番組:CHALLENGER’S TV “beehive”(東京・原宿/ロッテリア原宿表参道店サテライトスタジオにて公開生放送)を制作し、プロデューサーに就任。CHALLENGER’S TV “beehive”は、海外にも認知され、国内外の各界著名人もゲスト出演し、日本国内のインターネットテレビの概念やクオリティーを覆したことで高い評価を得る。

同年に、趣味が高じておもちゃ・フィギュアコレクターとして海外のサイトでも紹介される。

27歳で、チャレンジヘッド・エンタテイメントを設立、エグゼクティブ・プロデューサーに就任。日本国内外のトップクリエイターたちと共にアメリカンコミックブック(アメコミ)のコンセプトを取り込んだジャパニーズコミックブック(ジャパコミ)の創設とそのアニメーション化やテレビドラマ・映画化に向けても着手。

28歳で、東日本大震災被災地・被災者支援チャリティープロジェクト『beehive do+nation』を、各界著名人やチャレンジャーズ・プロダクション所属タレント・俳優、スタッフ、関係者と一緒に設立。東日本大震災発生から1ヶ月後に、被災地(宮城県石巻市・福島県南相馬市)入りし、避難所を慰問、物資提供等を実施。また、福島県南相馬市入りした際には、雑誌『TIME』で「世界で影響力のある100人」にも選ばれた南相馬市長:桜井勝延氏を表敬訪問し、会談。

29歳で、映画『STAR WARS EPISODE I: THE PHNTOM MENACE 3D(邦題:スター・ウォーズ エピソード1 / ファントム・メナス 3D)』日本国公開に合わせて、若手クリエイターたちと一緒にインターネットテレビ・特別番組:STAR WARS™ × The 501st Legion Japanese Garrisonトークバラエティ番組『FAR EAST OF THE EMPIRE』(Lucasfilm公認)を制作し、エグゼクティブ・プロデューサー(製作総指揮・演出)に就任。

31歳で、インタビュー配信チャンネル(2016年からはニュース・情報配信サイトに移行)『SOUL SAPIENS』(ソウル・サピエンス)を制作し、エグゼクティブ・プロデューサーに就任。自らホストやインタビューア、リポーターも務めている。

・・・と、年々、仕事や活動・行動、活躍の場を広げていき、様々な業界をも巻き込んでいる。

現在もテレビやラジオなどに出演したり、新聞や雑誌、各種機関誌などで取り上げられたり、イベントやキャンペーン、チャリティーに参加したり、講演・講習・トークショーなどでは九州男児の熱さで「良平論」を熱弁したりと活躍中。

ブレーンには各界各層の著名人や専門家・学識経験者等の名が連なっており、多くの信頼と支持、指導を得ている。


メディア出演

NHK、フジテレビ、日本テレビ、テレビ朝日、テレビ東京、TOKYO MX、ニッポン放送、文化放送、FM愛媛、International Herald Tribune / New York Times / The Asahi Shinbun、読売新聞、毎日新聞、東京新聞、西日本新聞、朝日小学生新聞、朝日中学生ウィークリー、日刊スポーツ、デイリースポーツ、スポーツ報知、ナイタイスポーツ、キャンパススコープ、COOL TRANCE、men’s egg、men’s egg BITER、週刊宝島、フロム・エー、週刊プロレス、週刊ゴング、kamipro、DJ YUTAKA presents “SAVE THE JAPANESE CHILDREN”PV、CHALLENGER’S TV “beehive”、その他

講演・講習・トークショー

学校法人日本体育会日体荏原高等学校(タレント ガッツ石松×江渕良平、タレント 佐藤弘道×江渕良平)、法政大学市ヶ谷キャンパス学園祭(タレント/プロレスラー ザ・グレート・サスケ×江渕良平)、蒲田チエンサービス協同組合50周年記念/美川憲一コンサート(前座)、池上祭(東京都副知事兼治安対策本部長 竹花豊×大田区長 西野善雄×江渕良平)、第4回CAP(子どもへの暴力防止プログラム)全国セミナー地域フォーラムinとうきょう〜すべての子どもに安心・自信・自由を!暴力のない社会に向けて、いま私たちができること〜分科会「子どもの権利条約」、社会福祉法人大田区社会福祉協議会、東京・大崎ロータリークラブ、東京・蒲田ロータリークラブ、各小学校・各中学校・各高等学校・各専門学校・各大学・PTA、その他